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土下座講習が受けられるのは6月の高松だけ!

ということで、2012年6月23日開催の「Woman’s Web Fes」(香川県高松市)に登壇します。

この一文を書くだけで「本当か!本当に私が人前でしゃべるのか!」と、手がブルブル震え息が荒くなり冷や汗をかき、ヘルペスが今月二度も出るという状態なのですが、なんかしゃべるらしいよ!

ウェブ系女子とか女性のための云々とか、女性でカテゴライズするとあれこれおっしゃるむきもおられるかと思いますし、フェミニズム的なアレだと思われてしまうと悲しいのですが、イベントの意図としてはそれぞれレディたちのセッション概要、主催・登壇される方のブログをご覧になるとなんとなく伝わるかなと…

高畑さんのブログ
Woman’s Web FES 高松にて開催

角掛さんのブログ
Woman’s Web FES が高松で開催されます。

黒野さんのブログ
【6月23日】「Woman’s Web Fes」@高松でお話しします。


個人的な肌感なんですけど、「女性もどんどん前に出ようぜ!」という感じではなくてですね。(そもそも、女性は十分前に出ておる。そこじゃなくてね。)
うちの会社がそうなんですけど、ここ一年くらい、女性スタッフのアウトプットのクオリティがすごいんすよ。私の同僚のデザイナーにしても、広報にしても、「うおおお、こいつ攻めてる!!!」という感じなんです。しかも、びっくりするようなことをやってるけど、自己主張しない。「あ〜、あれやっときましたよ〜ウフフ〜〜」(ローラ)って、しれっとやってる。あなたはいったいどうやってそんな仕事をやっているのですか、と聞きたくなってしまうレベルで、だけど、さらっとやってる。しかも、組織の共通の利益を最大限に獲得するための仕事になってる。私がすげえと思うのは、その利益を獲得しつつも最高のクリエイティビティを発揮しているところです。
女性は顔を殴り合うのではなくてテーブルの下で爪先で蹴り合いますからね。どういうふうにやってるの?と聞いたところで、「私なんてたいしたことないですよ〜ウフフ〜」て、なかなかしゃべってもらえません。そういう部分を白日の下に晒すわけですから、もしかしたら「しゃべんないでちょっと!」「聞きたくなかったよこんな話!!」かもしれません。ウフフ。 

私のセッションでは、「ゆるふわIA女子が語る愛より大事な108のこと」と題して、これまで「やってきたこと」をお話しする予定です。会社からも「親会社の株価に影響しない範囲で公開OK!」という許可をいただいているので、全部しゃべっちゃうよ!

  • ★ いかに私が土下座によって自分のミスをチャラにしてきたか
  • ★ いかに私が土下座によって周囲の人々をデスマに巻き込んできたか
  • ★ 天候別の効果的な土下座の方法
  • ★ 高熱が出たフリをしてミスをちょっと責めづらくする技

などなど、社畜として生きるノウハウがたっぷり詰まったセッションにしたいと思います!!


…………………嘘です。
 

あと、「ゆるふわIA女子が語る〜」ってタイトルじゃないからね。ちゃんと告知サイト見てな。一次ソースにあたれってカーチャン前にもゆうたやろ。
 

イタリアンジョークはこのへんにしておいて、インフォメーションアーキテクトという職域からお話をするので、そういう方面のお話ではありますが、IAとは!とか、そういう概念的なことをしゃべるつもりは全然ないです。
私も修行中ですし、良書がたくさんありますし、諸先輩方が素晴らしい提案をしてくださっているので、私としてはそこではなくてですね、もっとですね、こう、泥臭い部分っていうか、わりと●●とか○○とか××してっけどそれって△△で■■じゃね?っていう…ああ、これ以上は書けない…!!(以上、ティザー広告)
 

今からもどしそうになってるくらい緊張しているので、このような面白を目指したエントリーになってしまいましたが、「本社の株価に影響しない範囲」というのは「私の仕事のほぼすべて」であり、ものすごいネタバラシでもあります。弊社はアウトバウンドの営業をしておりませんので、かなりの売上げを営業が関わらないところでのウェブが占めており(インフラサービスですので、物販のようなECサイトとしての体裁をもっていません)、その意味でもあまりモデルケースに上がらない(携わる人が少ない)タイプの仕事だと思います。
そういう仕事に携わっていて、どうやって私が安くはないお給料をいただいているのか、お給料をいただくには会社としてはビジネスの成功が必須になりますので、そこに自分をどう組み込んでいくのか、組み込んだうえで、自分が何を目指していくのか、という部分までお伝えできれば幸いです。インフォメーションアーキテクトというと、なんかこうしゅっとした話っぽいですが、全然、私がやってるのは、まったくもって、そういうものではありません。泥臭いし、人間関係がつらいところもあるし、土下座もするし、ヘルペス出るし。もしかしたら、「こんなんIAと違う」って言われるかもしれません。ですが、「マネーを得る」ことにかけては「違わない」ということがビジネス上(弊社ですけれども)、少なくとも今のところは確証されている、ということは言えると思います(「今のところ」というのは、この仕事のままで来年も利益を生める、とは私自身も思っていないからです。もっと上へ行かねば)。
お金稼いでなんぼなんすよね。お金を稼げない仕事に価値を見いだしてくれる企業はたぶんないです。あるとしたらそのうち潰れます。とか言っちゃってどうしようあばばばばばば

というわけで、近隣の方、ちょっと遠いけど何とかなる方、すごく遠い方にも飛行機っていう文明の利器があってね(略)、皆々様と一緒におうどんを食べられたら思い残すことはございませんので冥土の土産に何卒よろしくお願い申し上げます。

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ストーリーが語られないコンテンツは炎上する

はじめて炎上マーケッターっぽいエントリーな予感!w

studygift〜学費支援プラットフォーム〜
studygift.net

「ただ困っている子を助けたかった」ー #Studygift は何が問題だったのか
http://www.startup-dating.com/2012/05/studygift/

これについて「うめーな」と思ったtweetをメモっとく。

https://twitter.com/#!/kobayashiokamu/status/203681655054024704
だからさぁ、ソーシャル野郎どもはセーフティネットにならない仕組みをセーフティネットとか強弁するからいつもつつかれてんだろっての。誰かをドーンと押し出して金集めるのは網じゃなくて釣りだろ

…そうか、セーフティネットのつもりだったのか…ww

ブログ記事やTwitterでもまるっと同意できる意見が見つけられなかったので、今更なんですが自分でも書き残しておきます。ローンチ後の流れを見ていると「私なんでこんなまじめなブログ書いてんだ…」と自分がかわいそうになりますが、せっかく書いたので公開します。
様々な方の批判も擁護(?)もまっとうだなあと思いましたし、本当にプラットフォームとか、セーフティネットにしたいんであれば、運営側は頑張ってつづけてほしいと思いますし、支援される学生もちゃんと勉強して、何らかの形で還元することになればいいなあと思います。しょせんこれも、慈善事業じゃないけんのう…(ゲスい意見) 

個人的には、コンセプト自体はとても良いと思う。お金がないってすごいつらい。ご飯をどう食べていこうって考えてる学生に、「まあそんなこといいから勉強しろよ」って言える大人ってカッコイイ。私も学生時代、先生や先輩方にいっぱいご飯を食べさせてもらったけど、たぶん私は飲み食いに関しては強運すぎるので(ここに運を使いすぎてるからモテない)、食べさせてくれる先生や先輩がみんなにいるとも限らないので、「牛角くらいならいつでも連れてくぜ、ハハッ」ていうのがネットで実現するならば、すごくいいと思う。ご飯じゃなくても美術館や博物館つれていってもらったりさ。オススメ本もらったりさ。同じような専攻だったらお古の本をもらってもいいし。現金じゃなくても支援の方策はいっぱいありますからね。

コンセプトは良いとして、炎上マーケッターとしての私が思うに、「へたこいたな」という印象。

どうせ炎上させるつもりだったんでしょうから(みんなが非難や批判してtweetしてブログ書いて2chのまとめスレが立つのは「狙い通り」だったはず)、これが盛り上がってる時にガンガン薪をくべるべきだった。それなのに、「本気で支援したいんです!」「新たなセーフティネットに!」と否定してしまったのはこのすばらしいキャンプファイヤーに仕掛け側自ら水を浴びせてしまったんではなかろうか……惜しい。
むしろ、「こんくらいコンテンツ力のある学生なら俺たちイケてる起業家たちが支援するぜ!」、あるいは、「可愛い女子大生を応援したい下心のあるオッサン集合!」として、第二弾、第三弾と、坂口さんのような学生を登場させ、叩く気力すら失わせるまで突き詰めていけば、「それでも100万集まったんでwwwwこれが愚民にわからないコンテンツ力なんでwwwwwwwさーせんwwwwwww」とやれば、「プラットフォーム」 として成立したろうになあ。つくづく惜しい(セーフティネットとしては成立しないでしょうが)。
これへの批判や非難を、楽してお金をもらう人への「嫉妬」と表現している人や、「支援する/しないはその人が決めればいいのだからお金を出さない人はほうっておけばいい」と言う人も多くいましたが、上記のようなスタンスならおそらく「嫉妬」や「ほっとけ」でいいと思うんですね。
ただ、「頑張ってる苦学生を支援しようとするプラットフォームづくり」「セーフティネットにしたかった」としたら、「嫉妬」や「ほうっておけば」もピントがずれている。
プラットフォーム、セーフティネットは(とくに後者は)、「いつか誰かが、この私も、そこにお世話になるかもしれない」もの。そのためには共感してもらわないといけない。システムと人を共感の回路でつなぎ、その回路をぐるぐる回していかなければならない。それなのに、共感のためのものが何ひとつ用意されていなかった。

炎上マーケティングだとしたら、「Google+で日本一になった有名女子大生のような広告塔になりうる存在を支援しているだけ」でいい。この子が有名で早稲田でPhotoshopの技術力が高いからじゃねーのか、みたいな。これでキモブサや私みたいなクソデブスだったら成立しねーじゃんかよ、でいい。あくまでビジネス、というんであれば、「セーフティネット」みたいなそういうお為ごかしはいらないですよね。真っ正直に「個人をコンテンツ化できたもん勝ち」ってやればよかったのかな、と。それなら批判や非難する人は、「そのビジネスに参入しないですよ」でいい(私が「へたこいたな」と思うのはこれ。共感できないコンテンツしか用意できないのならビジネスとしてやればよかった)。

もし炎上マーケティングでないとしたら、「ターゲットに応じたコンテンツを作るってどんなへぼ企画屋でもしますよね? いい大人がよってたかって、こういうアプローチにOK出すってありえないんじゃないすか?」みたいなね(坂口さん自身も学生とはいえ二十歳過ぎてますから、考えろよって思うけど)。スタートアップこそストーリーが大事ってみんな思い知ってんじゃねえかよう。共感できないストーリーを出しといて「いやー、それはちょっと」と投資家が渋るのは当然じゃないすか。お金ですからね。資本主義ですよ。君らカイジ読んでないんですか。世の中は金がすべてですよ! マネー!!!!

そんなわけで、この資本主義社会において、「お金」のためには、システムに共感し、投資するお財布の紐をゆるめさせるための仕掛け、ストーリーが必要なんです。ストーリーテリングの重要性が今説かれてるじゃないですか。スーパーのおばちゃんが「おいしいですよ〜試食してくださ〜い」と日ハムのシャウエッセン焼いてるのも、あれすらもストーリーテリング的アプローチなのです。298円のシャウエッセンひとつ売るにもストーリーが必要なのです。共感の回路によって売っているわけです。莫大(言っとくが1000円以上は莫大だからな!)な金額を、不特定多数から集めようとしたら、何よりもストーリー、ストーリーを語ること、それなしには炎上せざるをえないのです。
投資対象(この場合学生)のバックグラウンドを伝えることを怠り、炎上マーケティングじゃないと言い張り、 「共感」に至る回路をすべて断ち切った上で、「お金ください!」と言われれば、「そんなバカな」と、言いたくなるんじゃないでしょうか。プラットフォーム、セーフティネットであるならば、誰しもそこへ投資する対象となりうるわけですし、なってもらわないと困るのです。問題は、誰もシステムについて批判しているわけではない、というところです。共感できなかっただけなのです。そのためのストーリーを提示できなかった。炎上マーケティングとしても、高い志のプラットフォームづくりとしても、「へたこいた」、これに尽きます。

あと、これ、「炎上マーケティングじゃなかったとしたら」とした場合のただの疑問なんですけど(炎上マーケティングだったと思いますので蛇足ですが)、育英会の奨学金受けてた人がブレーン(仕掛け側)にいないんじゃないかな。もしいたら、「学生ローンの育英会が打ち切られるって、こいつ相当勉強してないってことじゃねえか…」と、不安になるはずなんですよ。そしたらああいうアプローチが出てくるはずがなくて。批判や疑問を呈している人って、まず、「なんで育英会が打ち切られるの…?」って思ってますよね。受けた人は全員わかってると思いますが、そんくらい、「育英会が打ち切られる=ブラックリスト=こいつやべえ」なんですよ。カイジでいえば地下送りになっていたしかたないレベルの多重債務(このたとえが伝わらないならカイジ読んだほうがいいですよ!)。
さらに育英会の奨学金は元奨学生による返済金を現奨学生へ入金するという完全な自転車操業ですので、返済中の多くの人々は「私が頑張って返しているお金を麻雀に使われているのか…」的な、「他人事ではいられない」感情的な部分があるのです。めちゃめちゃに叩かれている理由のひとつに、これがあると思うのですよ。私が返している奨学金も、この坂口さんの口座に振り込まれていたかもしれませんね。
もし育英会の奨学金受けてたり、そういう人が身近にいれば、こんなご時世だからこそよけいに、「これじゃ本意を伝えるまえに誤解されてしまう」と、考え直せてたはず。坂口さんも大学の普通の同級生に話してみればよかったのに。優しくいいことばっか言ってくれるSNSじゃなくてさ。ゼミで隣に座ってるふつーの女の子に「こういう企画あんだけどどう思う?」と訊いたら、「いや、その前に単位取れば?」 って、その子は言ってくれたはずなんですよね。

とはいえ、ほんとは大人が「そんなことより勉強しろよ」と言ってあげるべきだったんでしょうね。彼女が奨学金が打ち切られそうなほど単位を落としそうな時に、「ちゃんと出席しなよ!」と言ってくれる友達がいればよかったのかな。そう思うと、そもそもこうしたシステムの前に何かが足りなかったのだな、と思わずにいられません。

2個めの蛇足。
あれを見ていてマネー社会に絶望している「コンテンツ力をもたない」若い子がいるといけないので言っておくと、

  • * 国立(旧)には授業料免除がある(金がなきゃ国立行きゃいいんだよ)
  • * 国公立(旧) にはだいたい学生寮がある
  • *(旧)育英会の奨学金は普通の成績とってれば支給される
  • * 育英会は利子なし一種、利子あり二種を同時受給も可能(返済つらいけど)

なんだかんだで、お金がなくても大学行けるんですよ。私も大学、大学院と育英会と授業料免除にはお世話になりました。
ひとり暮らしなんかせずに学生寮に入ればよろしい。うちの大学の学生寮は女子寮は比較的キレイで確か月1万円くらい。男子寮はわりと古くて8000円とかだったかな。学部生でも、参画プロジェクトによっては毎月書籍代が支給されるので好きな本を躊躇なく買えるようになります(私は院からでしたが)。

もちろん、現在の日本の奨学金制度や大学制度自体が私は正しいと思わないし、狂っとると思うところもあるし、やむにやまれぬ事情で進学を諦めたり、中退したりする学生もたくさんいると思うけど、今まさに受験しようとしている子や在学している子にとっては、何年もかかる「制度の改変」なんか待ってらんないわけで、それなら今ある制度を上手く使ってなんとか生きるしかないと思うのですね。イケてるファウンダーに支援されるほどのコネクションやコンテンツを持っていなくても大丈夫。その程度には日本は豊かな社会だと思います。お金を出すこと、システムを作ること、も大事ですが、それともうひとつ、「他にも方法はあるよ」と伝えてもいいんじゃないかな、と思うんですよね。そもそもどう生活するか、は、学生だけでなく社会人になってからも、ずっとつづいていくことですし。
#「単位を取ること自体が難しい><」みたいなそもそも学ぶ気のない子については知りません。

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ロリコンと屍姦ばっかりやないか、節子、これ夢の国ちゃう

チャオ! 今日も最低なタイトルのブログだよ! 本文がつまんないからタイトルくらいはガツーンと書かないとね!

そんなわけで、「まだまだディズニーアニメを見ようぜ」キャンペーン継続中なんですが、正直古典に手を出したのは失敗だったよーな…ストーリーを知っているので物語に没入できないし、ずっと見続けていると概念的なほうが気になってしまって「そうそう、私ディズニーのここが嫌いなんだよ」を思い出すというか! しょせん商業主義の犬に成り下がってるんだろ!的なね!

というわけで以下、盛り上がりに欠ける(嘘)感想です。(ところどころ盛り上がっています)


『白雪姫』
屍姦パート1。

どうも元ネタ(グリム)を知っていると邪推してしまいダメですな…
王子様がいきなりスノーホワイトに歌いながら話しかけたり、7人のこびとたちがスノーホワイトにわらわらとよってたかったり云々と、ホラー感満載でブルブルしながら見ました。
しかし1937年公開だそうですが、絵は本当に素晴らしいですね。 
関係ないけどこのパケ写のスノーホワイトの顔が邪悪すぎて怖い……


『シンデレラ』
シンデレラ自身がちょっと頭の弱い感じの子で気の毒になりましたが、途中でいじわるな義姉たちがシンデレラのドレスをひんむくシーンがあり、そこが大変な見所だと個人的には思います。
また、義姉たちがガラスの靴を履くためにかかとを切り落とすスプラッタ的シーンをどう表現するかワクワクしていたのですが、そんなシーンはもちろんありませんでした。ざんねん☆


『眠れる森の美女』
屍姦パート2。
ペローの原作「いばら姫」に鑑みると「うへえ」となるのですが、面白かったです!(今回のエントリーの中で唯一楽しめたw)
とにかくアニメーションが美しい。キャラクターの繊細な動き(これがお姫様のエレガントさとマッチしている)と、鮮やかで豊かな色彩を見ているとストーリーまで気が回らないレベルで素晴らしかった。
とにかく見ていて心地よい映像でした。しかしこれも1959年ですか。やっぱディズニーすげえな。
ストーリーとしては、「100年眠っていた」「お城がいばらだらけに」というのがプリンセス物語としてのロマンなので、あっというまに魔法が解けたのが不満でした。スプラッタがほしいんだよねーー


『ふしぎの国のアリス』
ロリコンや! ロリコンやで!!

てもうやっぱね、原作知ってると素直に見られませんよ! コリン・ウィルソンに書かれるレベルのロリコン(ルイス・キャロル)が原作ですよ! ディズニーのドリームフィルターにつっこんだってどうやったって「ロリコンや…」という感想しか出てこないじゃないですか!!
あ、ハンプティ・ダンプティが出てこなかったのでがっかりしました。以上です。(楽しそうな感想)


『ジャングル・ブック』
これがまた、びっくりするくらいつまらなかったです。あまりにつまらないのは私が酒を飲みながら観ているからだと思い、しらふでも観てみましたが、つまらなかった…キプリングの原作は読んだことないんだけど、面白いのかな。
とはいえ音楽が素晴らしかったです。
個人的な唯一のみどころは主人公の少年・モーグリとクマのバルーの関係性ですね! BL的な意味で大変萌えられます。バルーがいじらしくてかわいらしい。黒ヒョウのパギーラもよろしい。しかし最後がなー。モーグリほんとこいつ最低。


『ポカホンタス』
ヒロインが可愛くないので見る気がしませんでしたが、Wikipediaの「批評」でのぼろっくその叩かれぶりを読んだらがぜん興味がわいて見てみました。 
Wikiを読んでから見ると、ちょうど『銃・病原菌・鉄』を読んでいたこともあり西洋化という名の侵略に思いをはせたり、白人文化のグローバリズムの胸糞悪さにモヤモヤしたり、当時の航海事情を考えると、こんなスカしたジョン・スミスも水虫とか大変だったんだろうなあとか、男しか乗ってないから(以下略)とかでなかなかに楽しめます。なんでポカホンタスは急に英語がしゃべれるようになったのだろう? 柳の木がしゃべったりするので「ファンタジーなんで(キリッ)」でいいとは思うんですけども。まともなことを言っておくと、ラストの「さようなら」の挨拶のシーンは感動的でした。
あと、「ココア厶はまじめでつまらない」とかdisられててかわいそうでした。ポカホンタスのために死んだのに。まじめでつまらない男と結婚するのが一番いいってうちのカーチャンも言ってた。ジョン・スミスに「明日死んでもいい、君を知らずに100年生きるよりは」みたいなこと言われたらそりゃそっちのにキュンとすると思うけどさー! またここでも「※ただしイケメンに限る」かよ!! 何なの君ら? イケメンじゃないと死ぬの? それと毎回思うんだけど、みんな(親すらいる)の前でキスしたりして恥ずかしくないのかな。これが西洋化か…!!
ところで、ミュージカル的な部分では『マイン、マイン、マイン』が好きです。こういうコール・ド・バレエみたいなディズニーの表現すごい好き。ポカホンタスの声優のアイリーン・ベダートがかわいすぎるので映像特典を見ていて楽しかったです。かわいいーーこの子かわいいーーーー。
やっぱストーリー知らないで見ると色々書けるな……


私、一応女の子としてこの世に生まれたはずなのにこのへんの「プリンセスもの」のディズニーアニメが初見だったっていうね…(絵本読んだりはしたけど… )

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2012*1*28 瀧口修造とマルセル・デュシャン

いつの展示だ…という感じなんですが、下書き保存のエントリーを公開しようキャンペーン中につきアップします。

1/28に千葉市美術館の「瀧口修造とマルセル・デュシャン」展を見てまいりました。
この展示、瀧口修造とデュシャンにまつわるアーティストたち(マン・レイ、ブルトンら)、フォロワーとなるアーティストたち(ジョン・ケージ、松澤宥ら)、さらに「実験工房の作家たち」と題して大辻清司らの所蔵作品の特別展も含めてなんと大人1名800円!!
田村一村といい、酒井抱一といい、千葉市美術館はかなりできる子…!
土曜の午後に行ってたっぷり見てまいりました。終了前日ではありましたが、人出もそれほどではなく、3時間ちかくゆっくりのんびりと見ることができました。

余談ながら、これまで数々の充実した展示を企画してこられた小林館長が今年度退任されました。おそらくこの美術館が小規模ながらも珠玉の展示を行ってこられたのは、小林館長の尽力が大きかったことと思われます。

さて、瀧口修造については、これまで文学者としての側面しか知らなかったのですが、この展示で瀧口自身もビジョンを明確に造形に落とし込む美術家であることを発見できたのがすごくよかったです。瀧口自身のドローイングが本当にすばらしくて、あまりこうした展示ではがきなどは買わないのですけど、瀧口のものは買いました。墨と、そこへいろどった鮮やかな一色(ブルーだったり、ピンクだったり)がとても美しかったです。

瀧口の編集者しての側面では、版下までも見ることができて、ちょうど私が同僚のグラフィックデザイナーに印刷の心得を叩き込まれているところだったのでこれもまたときめきました。手作り本もすばらしくて、活版印刷も結構ですが、やっぱりこう、手をかければかけるほど、「書物」は重くなるのだなということを実感できました。

シュルレアリスムはとくにそうだと思うのですが、「触れられるもの」というか、この肌感というか、接触しうるもの、に対して敏感で、それをそのまま「書籍」であったり、「オブジェ」であったり、そういうものに落とし込んでいるあたりが見事でした。

デュシャンはもともとすごく好きなのですが、 「グリーン・ボックス」とかあのあたりの箱庭としての世界観は本当にすばらしいです。閉塞感は戦前戦後ならでは。あの時代にしか作れなかった空気感な気がします。
川村美術館でジョセフ・コーネルの所蔵品の一部が見られなくて、がっかりしていたところ今回の展示に貸し出されていたのでこれもラッキーでした。コーネルの世界観も箱庭ですね。(シュルレアリスムはシュル-レアリスムではありつつもそのレアリスムはつねに箱庭的というか、ここではない現実を超えようとしているように思えます。超えたい現実は「いままさにここにある」現実ではない、ような)。

今回の展示でとくに素晴らしかったのは、瀧口やデュシャンらが求めていたものに刺激をうけ、また、その延長上に位置すると思われるさまざまなアーティストたち(いわゆる「ネオ・ダダ」も含めた)の作品も展示していたことで、工藤哲巳、松澤宥、荒川修作、大辻清司らの作品がまとめて見られたことでした。 松澤宥のことは知らなかったのですが、ひとめ見てすごく気に入りました。こうしたアーティストたちに触れさせてくれて、さらに見る領域を拡大させてくれる展示というのは貴重だと思います。
千葉市美術館のこれからの展示スケジュールを見ると、今年もかなりできる子な予感がして楽しみです!!
 

ちなみに、瀧口の手作り本に影響を受けて、にわかに手作り本を作りたくなってきたのでこのあたりで勉強中ですw
『手で作る本』山崎曜

インターネット大好きですし、デジタル万歳ですけど、本だけは私はどうしても紙じゃなきゃいやなんですよね。電子書籍も読みますし買いますけど、大切に読むものは紙の本で買います。
手触りと、紙の劣化と、においと。
それを楽しみたいから、私は「本」は「紙」でなければならない、と思っているような気がします。

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2012*4*28ビジネスモデルとエクスペリエンスデザイン・ワークショップ

4/28に千葉工業大学で開かれた「ビジネスモデルとエクスペリエンスデザインワークショップ」に参加してきました。徒歩15分なのに遅刻して汗だくになるというしまつ…

Business Model Generation: A Handbook for Visionaries, Game Changers, and Challengers 日本語版はこちら


この著書で提案されているビジネスモデル・キャンバスという手法を用いてエクスペリエンスを探ろうという、ざっくり言うとそんな形の講義とWSでした。

ビジネスモデル・キャンバス
http://www.businessmodelgeneration.com/canvas

前半は千葉工業大学の山崎先生とO-FLEXビジネス・コンサルティング代表・福永さんの講義および解説。

山崎先生は企業視点+HCD視点で新しいビジネスモデルを検討することの重要性をお話されていました。たとえばUXマップですと、ビジネスという視点がなく、これを補完する意味でもビジネスモデル・キャンバスは重要なフレームワークになるのでは、ということでした。

福永さんはビジネスモデルについての概略とワークショップへのイントロダクションをお話になりました。
福永さんによると、そもそもなんでビジネスモデルなの?というと、すなわち「もうからなくなってきた」からです。産業革命以降の人類の要求が飽和し、製品がただあるだけでは売れなくなり、そこに価値を生み出さないと売れなくなったからです(これがイノベーション)。

「そうよねー」という感じでふんふんと聞いていたのですが、最後の方に山崎先生が「企業はいまだにスペックをただ比べただけて勝った負けたやってる、だいたいの商品戦略ってそんなもん」とおっしゃっていて、これはもう、私どものようなサービス事業者は全員舌を噛みきるレベルで自戒したほうがいい言葉でした。私はこの言葉にはぐうのねも出ません。
ユーザーが欲しいのはスペックではないのです。それによる価値なんです。それに気付かず、メモリだのHDだのが勝った負けたのだとというのは、「ユーザーには全然関係のないこと」なのです。
私もウェブを制作する前に、必ず、「このサービスによりお客様は何がうれしいの?何を求めてこれを使うの?何ができるようになるの?」と聞くのですが、答えられる企画者はこれまでほとんどいませんでした。
「○社より●●のスペックがいい」とか、ほんとどうでもいい。そんなものにユーザーはお金を払うわけがないのです。
その意味で、このセミナーは企画スタッフが参加すべきだと思いました(が、当事者ほど参加しないんですよね)。

福永さんはダンディで物腰柔らかなのに、笑顔でサラリと厳しいことをおっしゃるので、どM心がキュンとしましたことを蛇足ながら付け加えておきます。
 
直接的には関係ないのですが、ビジネスモデルというだけでなく工業化、商品の飽和、といったお話もあり、産業について自動化(ヒト→機械)という視点から語った『機械化の文化史―ものいわぬものの歴史』がとても面白いので、産業革命等に興味がおありの方はご覧になるとよいかもしれません。


んで、WS部分は千葉工大卒業生のK君こと「かめちゃん」の、大学を卒業してフリーランスとして活動する際のビジネスモデルを考えよう、というものでした。

これがなかなか困難なお題でしたが、 

対象についていかに知っているか

が、こうしたモデル構築については重要だと思い知った次第です。

私の加わっていたチームでは、研究室所属の学生さんが3人と、卒業生の社会人1人がいらして、対象のかめちゃんについてよくご存知でしたので、「かめちゃんはこれが得意だ」「かめちゃんは日本人にはうけないけどイタリア人にはうけるユーモアを持ってる」「かめちゃんはここで活動している」「かめちゃんの知り合いにはこんな人がいる」等々、ヒアリングからは伝わらなかったかめちゃんの強み、独自性をご存知で、だからこそ「ここをモデル化すれば勝てる!」みたいなのをうまく抽出されていた気がします。

私やほかの社会人のかたは、かめちゃんが何ができるのか知らないため(プロダクトデザインなのか?グラフィックができるのか?HTMLは書けるのか?仕事を得る先はあるのか?等々) 、ばくぜんとならざるをえず、あまりかめちゃん自身を見据えることができなかった気がします。

山崎先生研究室の勉強会やWSは、いつも多くの示唆に富んでいて、社会人参加OKにしていただけるのも大変ありがたいです。ご一緒いただいた皆様ありがとうございました。

つきましてはtoggeterや他のかたによるブログもぜひ。 

4月28日 ビジネスモデルとエクスペリエンスデザインワークショップ つぶやきまとめ #津田沼BMG
http://togetter.com/li/294987
「ビジネスモデルとエクスペリエンスデザイン・ワークショップ」に参加した
http://d.hatena.ne.jp/cha-cha-ki/20120429

WSのあとは津田沼駅近くの居酒屋で懇親会を行いました。
津田沼のセミナーのあとに誰かに誘ってもらえるなんて初めてだよう…!!( ;∀;)

*シズル感の強い(そうでもない…)イカのバター焼き。

相変わらずイカ…馬肉のカルパッチョもとっても美味しかったです。(乗馬好きのIさんにオススメするという暴挙に出ましたが美味しいとおっしゃってたのでセーフ…??)

せっかくの機会でしたので、諸先輩がたに最近のモヤモヤその1をおうかがいしてみまして、目から鱗でした。
それについては帰宅してからtwitterで荒ぶったのですがwまた別のエントリーに書きます。
案の定しこたま酔っ払いましたが、とても良い一日でした。ありがとうございました。

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ディズニー処女は守り続ける所存です。

以前、ディズニーランドは嫌いだけどディズニー映画の『ノートルダムの鐘』が死ぬほど好きだという気持ち悪いブログを書いたのですが、このところディズニー映画熱が上がってきているので観た感想をメモメモ。

『アラジン』
ジーニーが山寺宏一さんなので日本語版を先に観ました。ジーニーかわいい! 山ちゃんのこういうキャラ大好きです。ムーランのムーシューも山ちゃんで、あのキャラもすごいよかった!(ムーシューはしかも英語版はエディ・マーフィーですからねww)
ジャスミンの吹き替えはムーランやベル役の麻生かほ里さんなので安定の歌唱力。ほんとはアラジン=羽賀研二版が観たかったのですが、今流通してるのは三木眞一郎版しかなくて残念です(中古なら羽賀研二版あるのかな?)。
アラジンとジーニーの仲良しぶりが微笑ましかったし、ジーニーはさりげなく泣かせるし、ジャスミンもキレイで可愛かった。


『塔の上のラプンツェル』
「ラプンツェルwwwwあのテラビッチが映画化wwww」とグリム童話(初版)を知ってる人なら吹いてしまうことうけあいの元ネタなんですが、何この感動的でまさに王道なハッピーエンド!ディズニーすげえよ!!!
某大佐にオススメいただいて観たのですが、いやこれは、ディズニー映画50作品目にふさわしい名作でした。映像も音楽も何もかもすべて素晴らしかった!! レンタルで観たのですが、DVD買います。
最初CGに目が慣れなくて酔いました。ラプンツェルもあんま可愛くねーなーと思ってたんだけど、CGに慣れるにつれだんだん愛らしく見えてくるからふしぎ! 躁鬱のシーンは初見で爆笑した。あのスピード感たまらん。
城下町でのダンスのシーンくらいから泣いてて、湖での明かりのシーンはもうほんと美しくて音楽もすばらしくて、”I See The Light”で翌朝目が開かないくらい号泣しました。ラストシーンも賑やかでほんと王道の「めでたし、めでたし」で、エンドロールの味わいのあるイラストも素敵でした。
冷静に考えると自然の摂理をおかした王様が諸悪の根源なんじゃねーか、魔女がかわいそうじゃねーかと…でもまあ、そこはおとぎ話なんでね…
吹き替えもしょこたんがうまくてびっくりしました。声だけでいえば英語版のラプンツェルよりイメージにあってて好きかも。吹き替えの日本語の訳があんまりうまくないな〜という印象。英語版で先に見たせいかもですが。ディズニー映画は英語も平易でかつ韻が美しいですよね。
ちなみに長い髪のラプンツェルより切った方が可愛いと思うのは私がショートカット萌えだからかしら…?w


『プリンセスと魔法のキス』
酔っぱらってDVDレンタルしたのでなんでこれをチョイスしたのか覚えてないw
これはいまいち好きになれなかった。ヒロインのティアナの顔も性格もぜんぜん好みじゃないし王子様のナヴィーンも親しめないというか…ティアナが頑張ってる良い子なのはわかるけど。むしろティアナの親友のシャーロットのほうがかわいくていい子だったw オープニングでは、将来このふたりはてっきり白人と黒人の差別的な意味合いでズレていくのかなと思ったら、最後までシャーロットは優しい女の子だったww スイーツ()だけど憎めなくて、金持ちで玉の輿にかけてるけどいざというときはティアナのために泣けるし、カエルとキスもするし……って、あれ、シャーロットがヒロインのほうがよかったんじゃ(略

なんでこれが面白くなかったのかと考えると、敗因はこの王子様のナヴィーンに共感も投影もできなかったことでした。
私がディズニー映画を観る時は、ヒロインに共感するのではなく、ヒロインに恋をする男性を通してヒロインを愛おしく思って、それでヒロインの行動や感情に触れて泣いたりするんですよね(なのでカジモドが可愛くて可愛くて仕方がないのだよ! カジモドはヒロインですから!!)。
ディズニー映画のヒロインは「ハッピーエンドが約束されたお姫さま」なので、私がヒロイン自身には共感できるはずもなくて、ただ、その「お姫さま」に接する側の気持ちはわかるというか、何かうつくしいもの、やさしいものに触れた時の感情はもちろん私にもあるわけで、そうしたところから共感をふくらませていくわけです。
たとえばラプンツェルのフリン・ライダーも、彼女の魂に触れることで彼女への愛しさを増幅させていく中で、自分が抱えている重荷、後ろ暗いもの、そういうものに向き合って、自分自身を受け止めて、そのうえで自分とは全く「異」なるお姫さまを愛していこうとするのです。「こういうやさしいものが(ことが)この世に存在するのだ」、というか。フリン・ライダーの裏に抱えていた鬱屈したものが私にはすごく共感できたんだと思います。だから、ラプンツェルで号泣したのかもしれません。
『プリンセスと魔法のキス』のナヴィーンには、こうした共感の回路がつながることが一度もなかったから(一応改心?するくだりもありますが)、私自身と重ね合わせられなくて、ヒロインであるところのティアナを好きになれなかったのかもしれません。

…という自分の気持ち悪さにまた気付かせてもらえたという意味では観てよかっ…たのかな………

そんなわけで、次はあまり私のこういううっとうしいものの見方が影響を与えないような古典「シンデレラ」と「白雪姫」を観ます!!
#これでもなおディズニーランドには絶対行きませんからねっ!! 

A TEXT POST

釣られたらほしいものリストから1品買おうぜ!

ふだんは情強を気取っているわたくしですが、ガセネタに釣られたり、つっこみどころの多い微妙なネタをFBでシェアしたりと、SNSではいかんなく情弱っぷりを発揮し、「私が輝けるのは2chだけだな…」とうなだれる日々なのですが、そんなときは戒めとしてAmazonの東日本大震災の避難所や支援団体による「ほしいものリスト」(ウィッシュリスト)から1品買うようにしています。

赤十字の義援金とか、現金てまとまった金額でないと出しにくいところがあると思うんですね。私自身、「1000円くらい募金してもなあ…」みたいに思ってしまうのですが、その点ウィッシュリストなら1個から気軽に買えますし、お急ぎ便で1〜2日後には被災地に届いているという安心感もあります。義援金は届くまで時間もかかりますしね。
Amazonのウィッシュリストから購入するというのは、情弱の自分を痛めつけることができ、こうしてブログのネタにもでき、さらに必要としている人のところに物品を届けることができるという、一石三鳥のドリームシステムなわけですヨ!
もう複数回買っているので、買い物履歴を見るにつけ「私、どんだけ釣られてんだ…」という反省も可能です。ということは、一石四鳥ですね!(笑顔)

もちろん金額的にとても買えないものがウィッシュリストに含まれていることもあるのですが(アルコールがないのが意外だった!w)、たいていはレトルトのご飯とか、カップ麺とか、目薬とか靴下とか。もうなんかそんなのでいいの?という気がしないでもなく、ささやかながら、全力で釣られたあとはウィッシュリストからお買い物をする、というのをおのれに課しています。

つい最近まで、ウィッシュリストがあるのは知っていたものの、ちゃんと見たことがなかったのですが、被災地のウィッシュリストから購入されている、ということをおっしゃっていた方がいらして、感銘を受けてこれなら私にもできる!と、購入するようになりました。

こちらの支援団体がまめにTwitterやHPで更新しているので参考になるかと思います。
こちらのサイトでは被災地のお店から購入することも可能なので、「Amazonはちょっと…」という方でも安心。 

東日本大震災 東北復興支援団体 きぼう
http://www.tohokukibou.com/


物資が届いたらTwitterで「届きましたよ」報告をしてくれるのもなかなか嬉しいですよね。

A QUOTE

誤解されがちだが、私は田村ゆかりという世界一可愛い唯一無二の存在そのものが好きなのであって、決してアイドルが好きなわけではない

A TEXT POST

まさかとは思いますが、この「日本人」はあなたの想像上の存在にすぎないのではないでしょうか。

「まさかとは思いますが、この『●●』はあなたの想像上の存在にすぎないのではないでしょうか。」
このネットスラング(?)を私が使う日が来るとは…!胸熱…!!!

日本人は日本語に混乱している 週刊プレイボーイ連載(40)
http://www.tachibana-akira.com/2012/03/3823

論旨が大変につかみにくいので意図も結論もよくわからないのですが、一時は文学者を目指し、高校時代駿台模試で現国の偏差値が常に70を超えていた私がここで諦めるわけにはいきません、3回くらい読んで読解したところ、

日本には階級差別があったので複雑な丁寧語や尊敬語が発達し、そのせいでフラットな関係が築きにくく、交通整理の人まで丁寧語を使うありさまで、日本人は日本語に混乱している。

ということのようです。

あらー、そもそも士農工商の時代に町民がお武家様と会話をすることなんかなかったんだから丁寧語や尊敬語の展開が異なるレイヤーの関係性によるものじゃないなんて2秒考えればわかるじゃないですかー、やだなーもう。

結局「敬語めんどくせ」ってことをこの人は言いたいのかな、と思うんですけれども、そんな中学生みたいなことをいい大人がしゃあしゃあと書いちゃうわけもなかろうし、「日本人が混乱している」と言われるからには、日本語を母国語として生まれ育った私もこの対象に含まれるはずで、必ずや文化人類学的なヒントがここに、亡き金田一京助先生の遺志を継いだ深遠な「コトバ」と「ヒト」との関わりの啓示がこここにあるは…ず………


まさかとは思いますが、この「日本人」はあなたの想像上の存在にすぎないのではないでしょうか。


めんどくさいからおかしいところを箇条書きにしますね!

(1)サッカーと道路工事の交通整理で話される言葉はコンテクストの違うものである
(2)責任と権限についての考え方と言語の問題を紐づけるのは無理矢理である
(3)アメリカでは、英語では、とあるが、根拠も反証もない 
(4)同じく英語をあやつる英国人もそうなのか?英国の貴族階級の「お察しください」モードの英語は京都弁を遙かに凌駕する
(5)尊敬語や謙譲語が複雑なのは日本語だけではない
(6)日本語でフラットな人間関係が築けず英語なら築けるということの検証がない
(7)そもそも、なぜ「フラットな人間関係」が好ましく、望まれているのかが語られていない

とりあえず、「アメリカ人ががさつで日本人が丁寧だ」「アメリカの交通整理員が尊大」と書いてしまう時点で、あんまりまともに論ずる文章ではないのですが、Twitterとかの反応を見ると絶望したので最後まで書きますね。脊椎反射しないで最後まで読んでね。


「日本語は敬語が面倒」などという意見をよく聞きますが、英語はじめ、他言語でももちろん敬語(尊敬語謙譲語)、敬語以上の婉曲表現なんて腐るほどあります。
例にあがっている英語でいえば、「身分」のある、英国の貴族階級では「そのまま言う」ことはエレガントではありませんので、忌避されます。「○○して」なんて直接的な表現をレディの卵がしようものなら、厳しい折檻のうえ10日は軟禁されます。それほど「言葉」というのは、社会の上流にいけばいくほど、「察せられるべきもの」でなければならないのです。
ジェントルマンがうっとうしい女に「もうおまえ顔も見たくないから帰れよ」と言いたいなら、「4月の風に運ばれてきた可憐な花の蜜のかぐわしさがわたしのまつげをふるわせるのです、マドモワゼル」と言わねばならぬのです。京女の「ぶぶづけたべなはれ」がこれにあたります。
階級社会がどうとか言い始めると、英国は日本より今でも確固たる階級社会です(むしろ、日本ほど階級社会の影響の少ない国も珍しい)。英国では「フラットな関係」が築きにくいとでもおっしゃるおつもりなのでしょうか。これさえ使えば「フラットな関係」が築けるらしい、「英語」の国ですよ! 

私がこういうトンデモ記事にもプリプリするのは理由があります。生暖かく「へー、へー、すごい問題提起ですねー!」とスルーできないのは、私が「言語」そのものをふかく愛しているせいでもあり、つねに文化に対しては基準を与えることを留保する立場を取りたいと考えているせいでもあります。

この記事からは「アメリカのほうが『フラット』だからグローバルじゃん?」的な匂いを大変感じるのですが、グローバル化、グローバル化と何かにつけ言う輩は、グローバリゼーションと言いながら結局のところ、「アメリカ化」したいだけなのです。グローバリゼーションとは、本来、コンテクストの異なるあらゆる文化は優劣がなく等しく「価値がある」、ということを目指すものなのです。決して「英語を使うこと」「アメリカ的社会を実現すること」ではありません(これは会社や学校でよく「グローバル化、グローバル化」と言われるのがよくないと思います。「英語化」したいだけなら、「英語化」と置き換えるべきで、英語を使うことはグローバル化ではありません)。

言語と文化の成り立ちと発展には背景があり、文脈があります。だから、「お互いの価値観を否定し合わずにいよう」というのが、グローバリズムの目指すところなのです(「世界で多くの人が話している」言語を取得することで、その文化を学び、コンテクストを知ることがグローバリゼーションですので、英語だろうが中国語だろうがスペイン語だろうが、いずれも等しく「グローバル化」なのです)。

* グローバリズムにはもちろん困ったことがあって、「同じように認めちゃったらシーシェパードはどうするの?」ということでもありますし、私自身も「女子割礼はどうするの?」と悩んでいますが、それに答えを出せる人が今までいなかったので、世界はこのように混沌としているわけです。私も答えを知らないので、「留保」が精一杯なのです。

もちろん、「言語やそれにひもづく思考が社会にどのように影響を与えるか」というのは、言語文化論としてはとても面白い研究になります。
そのためには、英語では「フラットな関係」が築けるが日本語では築けない例を十分に集め、検証せねばなりません。さらには、なぜ英語では築けるのか、日本語では築けないのか、というところになると、英国ではどうなのでしょうか。インドではどうなのでしょうか。どちらの国も英語が公用語でありながら、強固な身分制度をもつ国です。そこで築かれる関係性は「フラット」なのでしょうか。
「英語」と言いながら、「アメリカ合衆国」に限っていますので、「結局日本がダメって無根拠に言いたいだけじゃねーか」ということになります。さらに、本当にアメリカではフラットな関係が築けているのでしょうか。合衆国では日本人が想像もつかないほどの確固たるスクールカーストがあります。このように差別化された世界で、はたして本当に関係性が言語だけによって「フラットになりうる」と言えるのでしょうか?

ありもしない「フラットさ」を目的と根拠にして語るから、「ちょっと何を言っているのかわからないのですが」となるのです。

もっといえば、フランス語や、ドイツ語、イタリア語は英語に負けず劣らず合理的な(一見「フラットな関係を築けそうな」)言語ですが、それらの国ではどうなのでしょうか。それぞれの国もずっと階級社会でした。アメリカがたまたま「フラット」に見えるとしたら、それは建国のいきさつでしかありませんし、有色人種差別は当たり前のようにあります(オバマ大統領が就任した時の熱狂の要因のひとつを思い出してください)。常識的に考えれば、「フラットに見える」アメリカ社会でさえもまったくもって「フラット」など存在しませんし、差別されている人種が白人に「フラットな物言い」をして許される場面も少ないでしょう。そもそも、黄色人種であるところの私が、アメリカのエリート階級と言葉をかわすことすらないのではないでしょうか? 私がたとえ英語を自在に用いられたとしても、不可能ではありませんか?

たしかに言語の上では恐らく私の話は「通じる」=「理解できる」でしょう。しかし、それは本当に「対等」でしょうか? そこまで社会というものは単純でしょうか?

「フラット」というのはめくらましに最適な単語です。「フラット」が、もし「対等」という意味であったとしたら、そんな関係が存在したことなど人類史上一度もありません。「フラットな関係」などただのロマンティシズムです。「関係性」が社会で成立したその時点で、どちらかに天秤は振れるのです。

Twitterでの反応を見てびっくりしました。皆さんどれだけ「フラットな関係」にだまされているのでしょう。誰しもそんな関係になどなれやしません。それに、フラットであることはそんなにすばらしいことではありません。あなたはあなたであり、私は私です。互いの差異を認めれば認めるほど、「フラット=対等」から遠ざかります。「わたし」と「あなた」は違う人間なのです。


日本は島国として、江戸時代には200年間にわたり鎖国を行ってきました。さらに、2000年以上にもおよび、世界で唯一「日本国」として同じ王朝(といってよければ)のつづいている国でもあります。このような国ですので、易姓革命、つまり、「何らかのものをもって既存のものを破壊して塗り替える」必要がなかったわけです(中国の王朝の移り変わりと重ねるとわかりやすいと思います)。明治維新までは、ゆるゆると関係性をつないで、ゆるゆると社会を存続させてきた、と考えることができるのではないでしょうか。もちろんこれほど簡単なものではありませんが、私がフランス文化を学んできて強く思うところは、日本には「革命を通して敵を徹底的に潰すことでこちらの『正統性』を表明する」必要がなかったのではないか、ということです(これは、宗教の問題でもあり、民族国家としての問題でもあるでしょう)。だからあえて日本人は「対等であること」「フラットであること」「あなたと私が同等であること」をわざわざ言う必要もなかったのです。
一見、日本語は「フラット」に用いにくいし、敬語や丁寧語が日本人にすらまわりくどく見えます。が、それは「見える」だけなのです。

もし、万が一、百歩譲って、誰かが「日本語」のせいで望む「フラットな関係」が築けないとしたら、その人は絶望的なまでに日本語がへたくそなだけなのです。言葉を用いる時に、「対等である」ということは(「対等である」スタートが成立するとすれば)、相手のあらゆるコンテクストを事前に咀嚼していなければならず、それは何語を用いようと非常に高度な技術です。

日本語を母国語として生まれ育ったのに、「英語は敬語がないから楽だよねー」とか言うのは、単に音節が短いとか、外国語のほうがかっこいいからと勘違いしているからそう言っているだけで、英語でもフランス語でも、複雑なコミュニケーションになると「奥深い森の中の少女の肩に触れたひとひらの落葉のような」という表現をせねばならず、たかが日本語の敬語が難しいと言うような人にこんな高度な外国語を使えるはずがありません。そういう人は、日本語がどれほど美しく深みのある言語なのか、そしてそれをかわし合うことがどれほどすばらしいことなのか、知らないだけなのです。そのような人には石川淳を621時間読んでいただきたい。日本語を母国語として操れることの幸福を、この言語の美しさを実感するはずです(私はジュネを専攻していましたが、ジュネのテクストを「外国人」として読まねばならぬことにいつもストレスを感じます。どの言語にもこうした僥倖があるのです)。

私がフランス人をうらやましいと思うのは、「フランス語ってすてきでしょ」と彼らが心から思っているところです。フランス語はすばらしいです。同じように、日本語も、アイヌ語も、英語も、スワヒリ語もすばらしく、美しく、豊かで重みがあり、それが言語として使われるに至っただけの歴史のあるものです。

私たちを育んできた言語を、このように断罪することは、日本語のみならず、他言語をも誹謗することであり、「人間」の文化に対する冒涜でもあります。
私たちが用いてきた言語は、ひとに何らかの制約を与える、しごく扱いづらい最悪の道具という側面をもちながらも、ひととひとがあらゆる場面でふれあうことをそれぞれのコンテクストで可能にする、至高かつ最強の道具なのです。
そうでなければ、ギリシア時代あたりでとっくに哲学者はじめ人々はこの「コトバ」を手放しているはずなのです。


こうした「コトバ」をどこまでも卑俗化している、という点において、この記事に反論せねばならないと思いましたし、「なるほど」とか思っちゃった方は少々考え直していただき、さらに、週刊プレイボーイなんでマジレスすんのもアホくさいんですけど、編集者は「こりゃないっすよwwwww」と原稿を突っ返す勇気をもっていただきたい、と心から思います。

A TEXT POST

2012*2*26*田村ゆかり LOVE ♡ LIVE 2012 *I Love Rabbit*

* このエントリーは私が本当に気持ち悪いので閲覧注意です。

ゆかり王国のお姫様、世界一可愛い田村ゆかりさんのツアーライブ千秋楽、横浜アリーナ! いってきましたー!!ヽ(°▽、°)ノ

昨年ゆかりんにはまったばかりの超新参者ゆえ、友達もいないし、ひとりぼっちでの参加でしたし、横アリ前に人が並びすぎてて入場どこからしていいかわからないし、席の左右どちらの人も友達同士での参加だったみたいでアウェイ感満載だし、Tシャツもペンライトもタオルも当日会場で買ったものなので、「こいつ新参www」とpgrされるんじゃないかな、とか、コールやハイ!ハイ!とか口上ができないとボコられるんじゃないかな、とか、要するに楽しめるのか不安だったのですが………楽しかったわあ……私もうあと5年は生きていけるわあ………

アリーナ席だったので、わりと遠かったのですが、モニタが見やすい位置だったのが幸いでした。初めて生で拝謁賜るゆかりんは、ちっちゃくて細くて可愛くて声がものすごいキレイで、ダンスも普段あんなに「嫌い」って言ってるのにフリがキレててすさまじく可愛くて、初心者の私も「うおおおおおおお!!!」とならざるを…えない…!!

もうなんていうんでしょう、あの、「天使がおるで……!」みたいな感覚。

ゆかりんがMCで「みんながこうやってわーってなってるのを見てるだけで泣きそうになる。もうトシなのかな」(うろおぼえ)ってホントに泣きそうな感じで言うから、泣くじゃん…そんなん泣くわ…やめてマスカラ落ちるから…!!

全国をまわるツアーで、しかも最終日が横浜アリーナで、全会場チケット完売(ファンクラブ会員ですらチケットが取れない会場もあったくらい)、ゆかりんにもし何かあったら大変な影響が(コスト的にも)ある、という中で、ふだんの声優の仕事もこなしながら、千秋楽までこぎつけるということは、想像を絶するプレッシャーだったことと思います。しかも喉の手術をしたこともあり、それでも歌う、というのは身体というよりは、精神的に大変なストレスだと思いますので、ゆかりんと同年代の私はこんなに頑張れないし、こんなに自己管理ができないと思います。こんなに可愛い子が、なんでこんなに頑張って歌ってくれているんだろうと思うと、なんだか泣けてしまって、ちょっとここまで書いといてアレですが私気持ち悪いですね。

なんかゆかりんてそういう人の情感に触れてくる稀有な存在です。奈々も好きで可愛くてPV見ながらかわいさに泣いたりしてるけど、この「いじらしくて泣きそう」な感覚はゆかりんにしか感じない…他の声優には全然キュンと来ないのもそのせいかもしれないです。(この文章も本当に気持ち悪い)

で、3曲ごとにお着替えタイムで映像等が挟まれ、前回までに比べるとMCが少なく、ゆかりんの体力やステージ構成を考えると仕方がないのですが、どうしてもそこで勢いが途切れてしまう感じがありました。曲数を減らしてもいいのでもうちょっと中断が少ない方がいいなあ、と思います。MCもバックバンドとのからみがからまわってる感があって、ゆかりんがひとりでダラダラしゃべるのでいいのになあ、的な…(「お水おいしい?」を言わせないためにMCを埋めようとされてたのかもしれませんが)
 
しかし本当にあっというまの3時間で、最後のお手振りは(前回40分にわたってお手振りしたせいで延長料金をいっぱい万円取られたとのことなので)全方向に一回ずつで終わりましたが、本当に丁寧に丁寧に手を振ってくれました。細くて白い手を精一杯振ってくれて、今思い出しても涙が…

あと、生で聴いた曲は本当に好きになりますね。「春待ちソレイユ」の曲ってそんなに好き!!ってわけじゃなかったんですけど(もっとわかりやすいゆかりん曲が好きだったもので)、ライブ終わったらすごい好きになっていました。 

ゆかりん本当にありがとう! だーいーすーきーーーだよーーー!!!(SSSG)

セットリスト

1. アイ マイ ボーダー
2. Super Special Smiling Shy girl
3. ラブリィ レクチャー
4. 太陽のイヴ
5. ラブサイン
「あーん」はゆかりんだけでいいと思うんだけどどうかな!w
6. ほんのり桜色
7. Sympathy of Love
8. 雨音はモノクローム
9. if
10. ときめきフォーリン・ラブ
11. AMBER〜人魚の涙〜
12. Black Cherry
この2曲、レーザーの演出も素晴らしかったです。
13. トラウマの耳たぶ
14. 好き…でもリベンジ
15. ねぇ恋しちゃったかな
16. 星屑スパイラル
「星屑スパイラル」、これもう号泣レベルですばらしかった。ありがとうゆかりん。
17. Heavenly Stars
18. 滑空の果てのイノセント

ここからゆかりんと男爵たちが王国民を殺しにかかる!!!!

19. この指とまれ
20. MERRY MERRY MERRY MENU…ね!
21. LOVE ME NOW!
前日振りの練習を頑張ったかいがありましたw 右隣の紳士が「となりどうしリズムをーー♪」をやってくれたので嬉しかったです。右隣の紳士はタオルもポンポンも用意していて本格的な王国民のようでした。
22. fancy baby doll
サビ入る部分でバンドがミスったみたいですが姫がカバーw ここはさすがのキャリア。
横浜アリーナ2万人近くが「世界一かわいいよおおおおおお!!!」ですよ。姫の号令さえあれば、一国を支配できるんじゃないだろうかという気がしました。
あとサビ部分を振りコピしている殿方がいらしたのですがあれはゆかりんがやるからこそ可愛いのであって(略)と少々思いましたです。
23. 真新しいカレンダー
雪の降るような演出が儚いメロディにぴったりでとても美しかったです。ゆかりんに合わせて振られたペンライトの光がすごくキレイでした。 

=====アンコール=====
24. Endless Story
これも聴けてうれしかった!
25. You & Me
王国民は噂にたがわず、Motsuパートを難なくこなしてましたよ! どんな軍隊だ!(ちなみに私もラップは完璧だよ!)
26. チアガール in my heart
最後に飛び曲!終わるのが寂しいくらい楽しかった!


2012年6月にはこの横アリライブのBD&DVDが発売されるそうです★
当然のごとく見られていない部分も多いので、購入してまた泣こうと思います(最後まで気持ち悪い)。


他の方のライブレポ読んでたらすげーの書いておられる方がいらしたのでリンクしちゃいまっす。

http://d.hatena.ne.jp/katin/20120229/p1